【スピリチャル】第2章 生きづらいインディゴチルドレン/インディゴの子に勉強をさせるには

 

インディゴの子に勉強をさせるには?

【インディゴの子に勉強をさせるには?】というキーワードでたくさん検索いただいているので記事をリライトしています。

私の場合だと、振り返ってみれば、

  • 得意なことを中心に伸ばす
  • 音声や動画など右脳を使うような方法で感覚的に勉強する
    のが効果がありました。

まあでも、インディゴの子に勉強をさせようと思う親心はよくわかりますが、こういうと身もふたもないようですが、
これからの時代は無理に、苦手を克服しようとさせるよりも得意なことを磨き倒したほうが得策な気がします。

ただ、やっぱり子供に苦労や、要らない劣等感などは持たせたくないので
一人前の最低限の学歴などはつけてあげたいですよね?わたしはそこは両親がちゃんとしてくれたことにすごく感謝していて、どんなふうに育ててもらったか振り返ってみました。

まず、インディゴの子の特徴として、成績のいい科目と悪い科目の落差が激しい、というものがあります。

実際、私は、英語の偏差値は、80.4でしたが、数学の偏差値は、34とかでした。

やばいですよね。この数学で国公立を狙っていたなんて今考えたらちゃんちゃらおかしい。w
でも私の学校は大学がついていたんで、国公立以外を受ける場合内部進学をけらないといけなかったんです。

本当は私立なら文系3科目で戦えるので、絶対あたしは私立文系型の受験に有利だったと思いますが、国公立以外を受ける勇気はなかったです。だって親が学費を6年間も私立でねん出してくれていたのを棒に振るなんてできませんでした。

で、話を戻しますが、数学はいつも赤点でした。進級のときに欠点をとって教科書を全部うつして進級させてもらったこともあるんです。

でも英語は中学3年で英検2級をとってたしずば抜けていました。典型的な文系で、中学受験のときも幼少期から国語の成績だけはずば抜けていたんですよ。一切勉強しなくても塾で8000人中15位とかでした。(国語だけ)それに美術もポスターなど、作品を描くたびに、国連などから表彰されメダルを頂いていました。あとはパソコンも好きでした。暗いと思われるかもしれませんが、中学のときの部活はマルチメディア部です。

逆に壊滅的だったのは数学と体育です。体育はいつも2でした。

そんな感じでとにかく得意不得意の落差が激しいです

そのうえでわたしがどうして国語と英語はずば抜けた成績をいつも、ほとんどノー勉でとれていたのか
幼少期から社会人になるまで勉強に影響したと思える経験を振り返ってみます。

教育熱心な母に感謝。

母は教育ママだったため、私は、習い事をたくさんしていました。

具体的には公文式と英語とピアノとバレエと体操とスイミングを習っていました

足もたたない頃から水泳を習う。➡おかげで、体育は苦手だけど、水泳だけは今でも得意に!

・母が、初めての子で相当手をかけてくれ、無添加の野菜だけを食べて育つ。りんごは農薬が心配でほとんど芯になるまで皮を剥いていたそう。➡脳とか体の発育に関係ありそうです。

家でこどものころから漢字の単語カードをお母さんが作ってくれたり、おばあちゃんは世界の名作の絵本をたくさん贈ってくれました。それで本がだいすきでよく読んでいました。
あとは、七田眞の右脳教育の教材(ビデオ)をよく見ていました。それとパソコンで特打などのソフトでブラインドタッチなどはこどものときから練習していたな~
リビングブックス おばあちゃんとぼくなどのマルチメディア絵本(英語)のものでよく遊んでいました。
パソコンを使った英語学習をよくしていましたね。

阪神の震災で、両親が購入した新築の4800万円のマンションが全壊したのを機に会社の保養所があった大阪府の田舎に避難しました。そこで、のびのびとしたブドウ畑と裸足で走る田舎独特の校庭で思い切り走りながら育つ。近くの岩神(いわじん)と呼ばれる神社で、一番うえの階段をのぼりきったところに、大木があり、そこに秘密基地をつくって遊んでいた。当時、学校の絵で描いたほど思い出深い場所。遊びでは学校で泥のおだんごづくりをよくしていた。何日もかけて泥でさらさらの固いまるいきれいなお団子をいかに作るかを友達と競っていた。➡のびのびとした幼少期で感性が豊かに育ちました。

公文式を習う。公文式はずっと続けていた。公文式のプリントが自分の背を超える高さになるほどつみあがるくらい、続けていた。それで、捨てる時ににっこりそのプリントと一緒に写真をとったことを今も覚えている➡基礎学力がついた

・クラシックバレエを友達とならう。美しい白っぽいうすい紫の衣装をきてお化粧をして発表会に出たことを思い出す。かわいい、ルールベ・プリエ!➡女の子はかわいい発表会の衣装とか嬉しいと思います。
スポーツクラブに、水泳と体操を習いにいっていた。➡しかし体育が超苦手に育つw水泳だけ得意。

9歳 のとき、英会話教室に通う。毎週ひとことお父さんとマーク先生というカナダ人の素敵な先生に、フレーズを覚えて話しかけるのが楽しみだった。ハロウィンパーティーも素敵な思い出。この時の夢は、英語の通訳になることだった

りぼんの神風怪盗ジャンヌというマンガが大好きになる。それにあこがれて、ジャンヌのまろんの絵など友達の家で可愛い少女マンガの女の子の絵をかいていた。➡インディゴの子は芸術が得意といわれます。                     一輪車と竹馬が得意だった。

小4 の時 友達と3人でむしむし3匹 というオリジナルのキャラクターをつくってノートとかによく書いていた。あと好きな男の子を登場させて乙女な学校ドラマを作っていた。w

ピアノを習いはじめる。やさしくてすてきな女性の先生。初めて習った曲は、エリーゼのために。そのあと、習った曲で私が今でも大好きでピアノを触るとつい弾いてしまう曲は、ノクターン。渚のアデリーヌ。TUNAMIを発表会で先生と連弾した。➡ピアノは指先で左右バラバラな動きをするので脳によいとされますね。

教育熱心な母に超有名な中学受験塾である日能研に4年生から入れてもらう。
週3回は日能研でみっちり5科目勉強していた。

12歳

中学受験では、ちゃっかり中高大一貫の難関私立(共学)に見事、合格!

日能研では栄冠組のひとつ下の5組くらいの子が受ける難関校を2組にも関わらず受ける。奇跡的合格!!

中2

 ・国連のポスターコンクールに応募する。佳作を受賞した。

潜在意識の活用で英語をマスター。

 ・毎月、1冊ずつ英会話の通信で勉強を始める。1年かけて本を丸一冊、完璧に暗唱できるようになる。英語力が驚異的に伸びる

中3

中学3年で英検2級(高3程度)に合格する。

・国連ポスターコンクールに、海を守る環境保護のポスターをまた応募する。今回も受賞。それも、準特選をいただく。全校生徒の前で表彰台に上る。美術の先生に美大を勧められる。そのときに描いた絵が、学校の年報にも掲載される。

17歳

2006年 17

・私の青春といえるのはこの時期。16歳の夏休み、人生最高の人生経験をするそれは、ニュージーランドの女子高への留学。1か月、ホームステイをした。楽しすぎた1か月。詳しくはブログで
・生徒会に入る。総務として、制服や体育大会の改善について熱い議論。放課後生徒会室に集合してみんなで話し合ったのは大切な思い出。
個人でしている良心的な塾に通う

また、素晴らしい塾の先生のもとに通う。
あんなまごころの尽くした塾を私は知らない。

高2の終わりの2月に受けた偏差値80の模試を持ち込み、ECC予備校に特待生で入る。年間60万円の受講料が20万円で7科目通う。

英語だけは相変わらず得意で河合塾の模試では222,600人中、満点で 1位もとった。つまり全国1位。

人生で初めての挫折を味わう 大学受験で国公立に行けなかった

しかし、数学が大の苦手なことと、大学が付属していることによる安心感からかいまひとつ成績が伸び悩み、旧帝大の大阪大学の外国語学部のスペイン語学科を受験したが、センター試験もふるわず、(学校でも習ったことのない倫理を独学で選択したことも原因?)←倫理に惹かれてるあたり、この時からすでに、インディゴらしいなぁ~と今では思います
配点の高い2次試験、英語・国語・世界史(地歴は世界史で受験)でも挽回できずに、受験は不合格に終わる。大阪外国語大学が大阪大学に合併された年だったので、新しい学部の1期生で阪大生になる夢を抱いていたのが泡と消えた。

私は高校で10クラス中1クラスしかない、外部の大学をめざす一番上の特進クラスにいたため、成績優秀な友達に囲まれ、冷静に考えれば予備校に通うだけで勉強したつもりになってた、だけど落ちたことにショックが大きかった。
でも、幸い、中学からずっとエスカレーター式の有名私立大学に内部進学ができた。今まで、私立中学と高校まで何年にもわたり、高額な授業料を払い続けて、教育に力を注いでくれた両親に心から感謝しました。

中学・高校時代と6年間通して、毎日デザートの、皮まで丁寧にむいてある、愛情こめてお弁当をつくってくれていたお母さん、本当にありがとうって思っています。

大学は割とのびのび手あたり次第に、面白そう、楽しそうと思ったやりたいことやった。

必死に勉強していたのは主に、大学受験まで。

大学にはいるとサークル活動とかが凄く楽しかったんで、あまり、机に向かって勉強するということは少なくなりました。サークルはイベントサークル・サッカーサークル・部活動(海外)・NPOのボランティア活動、と4つも所属してました。

あとは、韓国の超名門大学の高麗大学に1か月留学するなど、父が費用をだしてくれたんですが。素敵な経験をしました。

法学部でしたが、基本的にはテスト前くらいしか勉強しなかったかなぁ。

公務員を志すも、勉強を途中でやめてしまう・・・

あっ、でも公務員になりたいとおもって公務員試験のコースに一時期通っていた こともありました。
でも今思えば、業務よりも安定とそういう理由で魅力にかんじていたんだろうなぁ、
だから、本当になりたいと思えなかったのか
勉強に身が入らなくていつも好きな科目だけ(憲法)の問題集ばっかり解いて、
苦手な経済原論や数的処理は無視していました・・・

その後久々に自発的に勉強したのは、社会人なってから。やっぱり英語が好き。

紙の上での勉強を必死にしていたのは18歳くらいまでかな。でもその後社会に出ていろいろ苦労したうえで自分が英語好きだったこととか思い出して、一念発起して、社会人になって、3年目の年にフィリピンに留学しまして、もともとTOEIC680点でしたが2か月で830まで上げました。この留学はスパルタで平日は外出禁止で1日5コマもマンツーマンの英語の授業を受けたあとに、毎日2時間のTOEICのテストを受験、さらに単語テストもうけるというスパルタな日々でした。でも最高に楽しかった。

インディゴチルドレンは、仕事でどんな道を選ぶといいか?生きやすくするためには??

新しいものに次々興味が移りやすいのでどれも中途半端になる恐れがある

そのため、手に職のつく資格とか(たとえばIT系や、看護師、得意なとこだけできたらいい、教員免許など)
資格をとれる学校に進学して資格取得しておけば、食いっぱぐれがない。
資格があれば、思い立ったときにすぐ就職で採用されやすいからだ。

私は学生時代に唯一得意だった英語の教員免許をなぜ、とらなかったのか、
と、今も激しく後悔している。だからそんな私の失敗をふまえていっています。

特に看護師などは職場を転々としても資格さえあれば、どこでもすぐ働けるのでいいと思います。あ、でも医療系は命にかかわるから不注意でミスしがちなひとには、鬼門なのでそのばあいは、救命病棟などではなくアットホームなおばあちゃんを相手にするような訪問看護とかのんびりしているような美容外科とかがいいんではないでしょうか

 まとめ

インディゴの子は得意不得意の落差が激しい
ただ得意なところは本当にずば抜けている。そして好きなことにのめりこむと、すごい集中力で結果をだせる場合もあります。
だから、それを踏まえて苦手は、進級などに必要な最低限だけおさえておいて逃げれるところは逃げて、時間をあまりかけないことかな。文系とわかったら国立を捨てて3科目でいける私立受験にしぼる、とかね。

苦手は、いっそのこと捨て去り、得意だけを磨き倒したほうがいいでしょう。

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まい ~異世界にアクセスする人~

まい ~異世界にアクセスする人~

28歳女性。兵庫県神戸市在住。血液型はB型です。 関西大学 法学部卒。英語が得意でTOEICは公式テストで830点。 趣味は、料理・カメラ・旅行。 韓国好きで、KPOPをよく聞きます。韓国語話せます。 好きな俳優はヒョンビン。

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まい ~異世界にアクセスする人~

28歳女性。兵庫県神戸市在住。血液型はB型です。 関西大学 法学部卒。英語が得意でTOEICは公式テストで830点。 趣味は、料理・カメラ・旅行。 韓国好きで、KPOPをよく聞きます。韓国語話せます。 好きな俳優はヒョンビン。