死後に功績を認められたゴッホの絵画に心血を注いだ生涯/麦畑と聖書における死生観について

自分を大事にする SelfLove
カラスのいる麦畑

この絵をみると自分のビラ配りを思い出します。
個別指導塾教室長の業務紹介 生徒獲得のための校門前での下校中にビラ配り

フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)

は、オランダ生まれの画家で、後期印象派からポスト印象派にかけての作品を残したことで知られています。彼の代表作には、『星月夜』『向日葵』『刈り穂を背負う老婦人』などがあります。

ゴッホは、画家としての道を歩む前は、宣教師や書店員として働いていましたが、30歳になったときに画家としての才能を見出し、本格的に絵を描き始めました。彼は、色彩の強い対比や筆致の荒々しさを特徴とする作風で知られており、印象派の画家たちが追求した自然光による表現に加え、内面や感情を表現することに注力しました。

ゴッホは、人生の大半を貧困と病気に苦しんで過ごしました。彼は、自殺未遂を含む数多くの精神的な危機を経験し、1890年に37歳で自殺を遂げました。しかし、その後の時代には、彼の作品が高い評価を受けるようになり、現在では世界中で愛される画家の一人となっています。

ゴッホの作品は、色彩の美しさや表現の豊かさだけでなく、彼自身の人生や苦悩、内面の表現を反映しており、多くの人々に感動と共感を与えています。

ゴッホの生涯 生涯に売れた絵はたったの一枚だけ。自ら命を断った、37歳の若さで

2017.08.03

ゴッホのドキュメンタリーを見たのですが、ゴッホの生涯は壮絶でした。

誰にも認めてもらえないで、絵を描き続けた孤独は計り知れません。

でも、彼の絵が、死後にこれだけ評価されるとは。ゴッホは浮世絵の美しさに魅せられて日本の繊細な絵と、質素な暮らしの中に美を見出していました。そして独自の画法をあみだしたのです。

今では億を超える値が付くというのに、彼は、麦畑で命を断ちました。

周りに頭がおかしいといわれて、自身もホテルに滞在するお金もなかったため、精神病院で1年間麦畑に囲まれた風景の中で過ごしたゴッホ。

麦畑は聖書では死、終わりを意味しますが、

ゴッホも晩年カラスと麦畑の絵を描いています。

カラスのいる麦畑

苦悩が感じられる。カラスが不吉な絵。

ゴッホは、命を断つ場所に、晩年に好んで描き続けた風景、麦畑を選びました。

私が感銘を受けた詩をご紹介します。 川上未映子さん

私はゴッホにゆうたりたい

引用元 http://www.mieko.jp/blog/2005/03/post_3.html

春が煙っておる。なんか立ち込めている。

何でもないよな一面をさあっと塗ったようなこんな空も、
ゴッホには、
うろこみたいに、飛び出して、
それは憂う活力を持ち、美しく、強く、見えておったんやろうか。

春がこんこんと煙る中
私は、
ゴッホにゆうたりたい。
めっちゃゆうたりたい。

今はな、あんたの絵をな、観にな、
世界中から人がいっぱい集まってな、ほんですんごいでっかいとこで
展覧会してな、みんながええええゆうてな、ほんでな、どっかの金持ちはな、
あんたの絵が欲しいってゆうて何十億円も出して、みんなで競ってな、なんかそんなことになってんねんで、

パンも食べれんかったし最後のパンも消しゴム代わりに使ってな、
あの時もどの時も、あんたはいっつもおなじように、描いててな、苦しかったな、
才能って言葉は使わんとくな、なんかの誰からかの命令なんかな、
なんか使命なんかな、
多分絶対消えへんなんか恐ろしいもの、恐ろしいくらいの、美しい、でも苦しい、
そういう理みたいな、そんなもんに睨まれてあんたは、
いっつも独りで絵を、絶対睨まれたものからは絶対逃げんと、や、逃げる選択もなかったんかな、
それでもとにかく、絵を、絵を描いて、

そら形にするねんから、誰かに認めてもらいたかったやろうな、
誰かに「この絵を見て感動しました、大好きです」
ってゆわれたかったやろうな、
それでもいつまでも独りぼっちでよう頑張ったな、淋しかったし悲しかったな、

それが今ではあんたは巨匠とかゆわれてんねんで、みんながあんたをすごいすごいってゆってほんで、
全然関係ない時代の日本に生まれた私も、あんたの絵が大好きになった、

教科書にも載ってるねんで、
夜もな、空もな、ベッドの絵もな、麦畑も、月も、デッサンいっぱい練習したやつもな、
全部観たで、きれいなあ、あんな風に観てたんやなあ、

みんなあんたの生きてきたことを知ってるねんで、
耳をちぎったことも、キチガイ扱いされたことも、
悲しくて悲しくて悲しくてしょうがなかったこと、
そんなあんたが書いた絵が、ほんまにほんまに美しいことも、
今はみんな、あんたのことを思ってんねんで、

私の知り合いの、男の職業絵描きの人とな、
随分前にあんたの話になってな、
私はあんたの生き様、芸術って言葉も使わんとくわな、
もう、それをするしかなかったっていうものと死ぬまで向き合ってな、そういう生き方を思うと、
それ以上に、なんていうの、ほんまなもんってないやろって思うわ、私は信頼するわって話をしたん、

そしたらその絵描きな、未映ちゃんがそう思うのは全然いいけど、
あんな誰にも認められんで苦しくて貧しくて独りぼっちでゴッホが幸せやっと思うかってゆわれてん、
俺は絶対にいらんわってゆわれてん、

ほんでそっからしばらくあんたの幸せについて考えてみてん、
幸せじゃなかったやろうなあ、お金なかったらおなかもすくし、惨めな気持ちに、なるもんなあ、
おなか減るのは辛いもんなあ、ずっとずっと人から誰にも相手にされんかったら、死んでしまいたくもなるやろうな、
いくら絵があっても、いくらあんたが強くても、しんどいことばっかりやったろうなあ、

そやけど、多分、
あんたがすっごい好きな、すっごいこれやっていう絵を描けたときは、
どんな金持ちよりも、どんな愛されてる人よりも、比べるんも変な話やけど、
あんたはたぶん世界中で、一番幸せやったんやと、私は思いたい。

今はみんながあんたの絵を好きで、世界中からあんたが生きてた家にまで行って、
あんたを求めてるねんで、
もうあんたはおらんけど、今頃になって、みんながあんたを、
今頃になって、な、それでも、あんたの絵を、知ってんねんで。知ってるねんで。

あんたは自分の仕事をして、やりとおして、ほいで死んでいったなあ、
私は誰よりも、あんたが可哀相で、可哀相で、それで世界中の誰も適わんと思うわ
あんたのこと思ったらな、
こんな全然関係ないこんなとこに今生きてる私の気持ちがな、
揺れて揺れて涙でて、ほんでそんな人がおったこと、絵を観れたこと、
わたしはあんたに、もうしゃあないけど、
やっぱりありがとうっていいたいわ

だからあんたの絵は、ずっと残っていくで、すごいことやな、すごいなあ、よかったなあ、
そやから自分は何も残せんかったとか、そんな風には、そんな風には思わんといてな、
どんな気持ちで死んでいったか考えたら、私までほんまに苦しい。
でも今はみんなあんたの絵をすきやよ。

私はどうにかして、これを、それを、
あんたにな、めっちゃ笑ってな、
ゆうたりたいねん。
ゆうたりたいねん

麦畑というキーワードが最近シンクロしてきている。

思い返せば麦畑に自分も昔、縁がありました。
以前の職場が、パワハラ上司のもとから異動になり、美しい麦畑のある地域の教室に配属となったのです。

以下の日記は、勤務に疲弊して辞めることを決意するも、異動先がとても居心地がよかったし引き留めていただいたので心が揺れながら、不安や迷いを薄めるために必死にどこかで見つけた褒め日記という自分をひたすら褒めるっていうのを実践していた日記です。退職という意味では、私があの日みた麦畑にも、なにか終わりを感じさせる哀愁がありました。

聖書のなかでも、麦畑は人生の終わりにたとえられているそうです。偶然、先日日本語を私が教えている香港の友人から、そのたとえ話を知ることになりました。

聖書では1粒の麦を一人の人間としてとらえています。麦の人生は人間の人生です。

ゴッホの絵の中で、カラスが飛びたつ麦畑は成長を終え刈り取られる麦のようなもの。。

時がきてゴッホは生まれたけど、ゴッホはこの世のわざをなし終えたので、
神様が刈り取られたのかもしれませんね。命の終わりを告げています。
大きなインパクトを残すような方はアップダウンの激しい人生を送ることも多いですね。

聖書には種まきを暗示する言葉が繰り返し出てきます。

ソロモン伝道の書
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざにはときがある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり。播くに時があり刈り取るに時がある。
愛するに時があり、憎むに時がある。

麦を刈り取るときはもう成長を終了した時で
あとはパンになり子孫を残すむぎですから ,,この世での役目を終えた麦ですよね。

ヨハネの福音書12章23~26節に有名な言葉があります。
「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」
イエス様は多くの実を結ぶために一粒の麦になって地に落ちる運命を選択したのです。

ヨブ記「 私は裸で母の胎から出て来た。また 、裸で私はかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。
主の御名は ほむべきかな。 」
キリシタンの方は、納棺・埋葬の時、この文章唱えるそうです。
一粒の麦は落ちて母なる大地に帰ります。

一粒の種を播いてどれくらいの収穫を得るかということを聖書は語っています。
創世記ではカインは弟アベルを殺したので地はアベルの血で呪われてて収穫しないであろう。
イサクは一粒の麦を播いて100倍の収穫を得る人だったといわれています。

ルツ記に落ち穂拾いのシーンが出てきますが収穫の時落ち穂まで拾ってはいけなくて畑に落ちた落ち穂は寡婦が拾うものであった。

The following two tabs change content below.

Mai

1989年、兵庫県神戸市東灘区生まれ。 関西大学法学部法学政治学科卒業。外資CRO、外資大手消費財メーカーのマーケティング部勤務を経て、 外資系IT(米国最大手の通信会社)にて5年間勤務。 TV電話会議システムの日本支社営業統括を担当。 多くのエンタープライズ企業にSaaSシステムを導入。年商13億円の日本法人のカントリーマネージャー。 現在はすべての人が自分らしく生きれる社会をめざして、独立開業。 オンラインにて心理カウンセラーの仕事をしている。Webマーケティング・Webデザインにも精通。

コメント

タイトルとURLをコピーしました